見る・見られる・見える
同僚と、言葉の使い方について、ちょっと議論した。
例「歩く→歩ける」に従って「見る」を書きかえる問題。
正解は「見られる」。
「見れる」「見える」をNGとする同僚に対して、私はそうは言い切れないと思った。
「見れる」は、いわゆる「ら抜き」言葉としてNG。
しかし、最近では容認する傾向にあると思う。
「見られる」では、受け身・可能・尊敬、どれを意味するのか文脈から判断する必要がある。
「見れる」なら、可能の意味以外に使われることはないから、合理的ではないか。
「正確に相手に伝える」という視点からは、逆に「見られる」はNG。ら抜き言葉を使いたくなければ、「見ることができる」といった表現にするしかない。3文字で表現できることに、8文字使わなければならない。文字数にこだわる必要がある私としては、とても受け入れがたい。(^^;)
それから「見える」は、自動詞・他動詞の問題でNG。
これも、日本語でそれに拘るのは無理があるというのが、私の意見。
一般常識を問う問題として、もはや「見る→見られる」は適切な問題ではないだろう。
そう言うと、「美しい日本語」を大切にする同僚は、考え込んでしまった。
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